Deference Reports

ど素人がアニメ、音楽など考察しつつ語っていきます。表現方法を学ぶ意味も込めて。

色づく世界の明日から第2話考察

まず所感としては瞳美の表情が1話よりも豊かになりましたね。

というところで今回もいくつか考察していきます。読んでくださる方の考えの一助となれば幸いです

 

◼️瞳美が魔法を嫌う理由

琥珀ばあちゃんからの手紙を読んだ琥珀の祖母曰く、瞳美も強い力を持っている。ので、今まで練習してこなかったが、瞳美はやればできるのだろう。その証拠とは断言できないが、山吹が見た下駄箱でたくさんの星を出していた瞳美の姿。廊下では一つしか出せなかったことも考えれば、唯翔に魔法を褒められたことから魔法に対する自己肯定感が少し回復したのだろうと思われる。

そう、「回復した」のだ。つまり自分の魔法、あるいは自分のかなり強力な魔法を嫌いになる決定的な出来事があったと考えられる。前回のブログで述べた「母親が出て行った」という推測からさらに深めると、母親が出て行ったのは瞳美の魔法が原因、もしくは瞳美自身がそう思い込んでいる、そのために魔法が嫌いになった、ということが考えられそうな気がする。

もう一つ補強しておくと、琥珀の祖母と琥珀の母親と瞳美とが会話している場面で高所の隙間から覗くようにして瞳美だけが映っているカット。覗いているのは瞳美本人、つまり内面的な視点を導入することで内省的な、何か過去を思うような意味合いが込められていたんじゃないだろうか。と考えるとやっぱり瞳美の魔法が原因で…というのが妥当なのではないでしょうか。まあここまでいくと妄想と言っても良い気がする…

 

◼️色は見えなかった

唯翔の元へ色を求めて向かう瞳美、結局は色は見えなかったが魔法への肯定という別のものを得たよう。実際に、屋上へ向かう階段は階段部分だけが暗く、黒いが、屋上への出口はほのかに鮮やかに輝いていた。という怖さと希望を表したような心理描写もある。逆に屋上から帰ってきたあとの踊り場がさっきよりもさらに輝いて、鮮やかだった。そこでの冒頭とは意味合いの異なる「魔法なんて大キライ」というセリフ、綺麗に対比させてるのは良かったが「キライ」の意味が分かりかねる。ずっと避けてきた人と接する喜びを嫌いな魔法が教えてくれたことに対しての矛盾から出てきた「キライ」なのだろうか

「色は見えなかった」と書いたが、唯翔の絵を見ている間、正面に夕日、心地良さげな風、という表現は何を意味しているのだろう。やはり何か感じ取るものがあったと考えるのが妥当なのか。「風」=「目には見えないが感じることはできるというような象徴」と考えるとこの先で少しずつ瞳美自身が変わって行くことを暗示しているのだろうか。

 

余談になりますが…

オープニングの映像がめちゃくちゃきれい。モノクロから少しずつカラーへと色づいて行く感じ、モノクロとカラーのコントラストとでも言うような美しさがなんとも言えない。さすが、OPだけでもこのアニメ見た甲斐がある

 

では今回はこのへんで

 

にほんブログ村 アニメブログ アニメ考察・研究へ
にほんブログ村